The Cuckoo's Nest

幽遊自躑に暮らしております。https://twitter.com/Wintermoth1934

飴を舐めろ

飴を舐めろ。

さすれば貴様は幸福であり続けるだろう。

ただひたすらに飴を舐め続けるのだ。

その下の上で転がる甘美な玉は貴様を幸福でなくとも大地のように平坦にはしてくれる。

ただ気を付けろ。もし飴を噛み砕いてしまったり、うっかり飲み込んでしまったら事だから。

ただひたすらに飴を、燃え盛る竈門と同じように、それが消え失せる前に投じる必要がある。

さすれば貴様は不幸にならなくて済む。

飲み損ねた錠剤の舌に永久に残るあの苦味を貴様はもう味わいたくないだろう。

飴を舐めろ。

雨の日の庭

雨の日の庭が好きだ。

写真では私の目で見ているソレを表現できないけど掲載します。

傘をささずに雨の降り注ぐ暗ぼったいちょっとした異世界を楽しむ。

髪を濡らしながら腰より下の低木に目を向けると葉が雨粒を落とさないよう支えているのが分かる。雨だから汚いのは分かるけど蛇口を捻って出る濾過された水よりずっと清潔に感じるんだ。

こんなに辺りは青く暗いのに反射する太陽は出ていないのに雨粒が子供の時分に見たビーズのように光り輝いている。不思議でロマンチックだ。

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不眠

眠くて仕方がない。すぐにでも寝たい筈なのに脳が入眠を拒む。一度で良いから夢を見ず8時間一度も起きずに眠りたい。人が当たり前のように享受している幸福を私は味わえない。とにかく眠い。今日は早く起きたし身体も動かしたし他人にも会った。昼寝もしてはいない。だからすぐにでも寝れるはずなのだ。なのに何故眠れずこんな恥ずかしい文章を世界に公開しているのだ。夜の雨も私を歓迎してくれている。眠れるはずだ。そう、私はきっと眠りに落ちる。何故なら私は毎日眠って今日まで生きてきているのだから。それこそが私の眠れる何よりの証拠なのだ。これ程の確固たる証拠があるのに何故私は自分が今日も眠れないと思い込むのだろう。おかしな話だ。そう、私は死にたくないなんかない。心地良い睡眠さえあれば私はもっと頑張れるのだから。

連続性

この頃、自分の発言や行動に連続性がないと感じることが増えた。テレビを見て動物と過ごしただけの特別何もない日でもそう思う。

昨日の自分がした行動がどうも自分ではないというか、いや、自分ではあると感じるが、どうにも正気ではなかったのではないかと不安に陥る。それが理性的ではない行動だったのではないかと思うこともあるがよくよく考えて見るとそこよりやって来る不安ではない。逆だ。理性的な行動だったとしたら、理性的な行動だったら私という人間は、そう思うことに端を発する不安なのだ。

何故あんなことをしたのだろう、何故、何故、何故、昨日の自分が自分とは別人に感じて、いやそれは嘘だな、確かに私であるのだが私の思い描く自分と、理想の自分と全く異なった姿に映るのだ。地獄の住人のように穢らわしく見るに耐えぬ永遠の加害者として映る。酒や薬に酔って取った行動でなく、その時の自分が理性的であったらそれは正真正銘私自身ではないか。酒のせいだ、薬のせいだ、そういう外的な要因を理由に言い訳ができなくなり、ただ私は私がケダモノであると自覚する。その瞬間、私は堪らなく恐ろしくなって頭を抱えて田畑から掘り出されたばかりの芋虫のように身体を縮こめて怯えるしかない。

昨日の私は確かに自分だ。これは連続性があるからこその恐怖なのか。私は昨日の自分と今の自分に連続性がないことを望んでいるのか。私は自分の行動に責任が取れなくなるのではないか。

よく晴れた日の午前9時に起きて切り立ての檸檬を絞った炭酸水をくっと飲んで歯を磨いて大好きな人たちに笑顔でなくても良いからお早うと言えたらどんなに幸福だろう。私は爽やかでいたい。イワナの暮らす霧深い渓谷のように爽やかでそして霊的でありたい。

人が私を気味悪がっている。

だがおそらく人は私を気味悪がってなどいない。

問題は私がそうとしか感じられなくなっていることである。

精神薬を飲み誤魔化して何か意味があるのか。

誤魔化して、誤魔化して、誤魔化して……それが私の人生だ。

私は一人では生きていけない。もう一人で生きていけるなどと虚勢を張るのだけは決してしたくない。それだけはもう二度と。

私に優しくしてくれれば、大切にしてくれれば、特別扱いしてくれれば、誰でも良いのか? 他者のために生きることができない人生に私は価値を見出すことはできない。自分だけ、自分だけ、自分だけ……これ以上、自分を優先するなら狂ってくれないか?

走馬灯

諸君は今の生活が、人生が、もしや走馬灯ではないだろうかと疑ったことはないか? 私はある。

私たちの今この体験しているものが生者の人生による体験なのか、それとも死の瞬間に見る走馬灯なのかは誰にも分からない。そう、それはあの有名な胡蝶の夢のように。

しかし案ずるな。人生と、死の瞬間に見る走馬灯はおそらく同一のものであろう。走馬灯とは人生の追体験であるのだから決して我々にそれと判断することはできない。結局我々は死に帰結するのであるからだ。であるからして私たちはいつも走馬灯を見ているのだ。そして輪廻転生などなく、我々はこの人生を永久に宇宙が崩壊しようとそういう時の時間から抜けて繰り返していくのみ……

青年

ただ一日そしてまた一日が過ぎ去るのみ。

その日、私は21歳の青年だった。しかし、私はある不幸な出来事(通常の人であれば皆通る類のもの)から人生に絶望し、立ち直る事ができなかった。私は大学を中退し田舎に帰って何をするでもなかった。する事といえばただ酒と飯を喰らい、葉に止まった虫が何を見るでもなくタダ本当の意味で前を見ているかのようなそれと同じ目つきで電子機器の画面を視界に含んでいるだけであった。私が努力したことが唯一あるとするなら、他者に私の感情的な姿を見せなかったことのみである。それのみが唯一この私にできる世間への償いであったのだ。

そのような一日が終わり、また一日、また一日と……ある日、私はふと思い立ち自分の年齢がいくつか考えてみることにした。

実に89歳、次の年で卒寿を迎える。辺りを見てみると、昨日まで私の隣にいた一匹の猫も父と母も、そして私の懐かしきあの家も姿を消していた。私は白い壁に囲まれた鍵の掛かった部屋の中で如何にも安そうなパイプのベッドに腰を下ろしていた。

壁に目をやると何か硬く尖ったもので掘ったのであろうか小さな実に小さな文字が目に入った。殺してくれ、殺してくれ、殺してくれ、殺してくれ、殺してくれ、殺してくれ……歪な文字で確かにそう繰り返し書いてあった。誰が書いたのか分からない。前の住民だろうか。その者は壁一面に書こうとしたのかもしれないが早々に心折れて辞めていた。それから机の上に目を向けてみると何か筒状のものが置かれていた。それ以外には他にペン一つない。それは調べてみるとどうやら万華鏡のようであった。万華鏡など幼少の時分以来である。私は嬉しくなってその万華鏡を覗いてみることにした。

すると扉の向こうで人の走り回る音、それに騒ぎ声が聞こえる。何か番号を叫ぶ声が聞こえ、〇〇番がアレを覗こうとしていると誰かが叫んだ。誰かまた何か世間様に迷惑をやらかしたのであろう。私は再び万華鏡に両目をやった。

万華鏡はあまりに美しく私は脳が溶解していくのを感じた。私は万華鏡をスライドさせ新たな美を求めようとした。すると小さな散り散りの宝石たちの隙間に小さいが人が二人見えるではないか。私は二人をじっと見た。それは美しい女と美しい男で女の方には何やら見覚えがあった。男は女の手を握り口付けをし、二人はこれから布団に入るところだった。その男は両手を女の胸に当てがい女はこの世のものとは思えないほどうっとりと妖艶に満ちた表情を浮かべている。終いには女は甘い声を上げその男に腰を振られ始めた。男も女も快楽の他何も考えずただお互いを体液でべとべとに濡らしていた。

その時である。扉が何か大きな機械のようなもので破壊され制服を着た醜悪な顔をした男たちが私を羽交締めにした。私はチョークで黒板を擦った時のような音を上げて暴れた。誰かが鎮静剤を打て!と叫び私の腕を捲り上げた。それからである。私が21歳の青年になれたのは。