一炷香

幽遊自躑に暮らしております。https://twitter.com/Wintermoth1934

年老いた女がぼくに向かって言う。

お前は決して幸福にはなれない、と。

ぼくは何故か訊く。

すると彼女はぼくに言う。

お前は変態だからだ、と。

ぼくは思う。ああ、そうか。今まで幾度と自身を自身で罵倒してきたが、どうもしっくりきたものがなかった。そうか、正しい言葉はこれだったのか。ぼくは腑に落ちて、彼女に礼を言う。

彼女はぼくに言う。決して彼女は笑わないし動揺もしない。

私はお前のそういうところが最も憎く稚拙だと思っていた。

ぼくは彼女にさらに礼を言う。その言葉も全くぼくの腑に落ちたからだ!

彼女はぼくに言う。

哀れ過ぎるから自殺してくれ。

ぼくは言う。

それだけはできない。この世で確実にぼくを愛してくれている父と母が、また私の傷付けてしまった大切な人たちが自身の責任と思って生涯苦しむこととなる。それだけは決してできない。

彼女は言う。

本当にそうか?

ぼくは言う。

いやこれは全く本当だ。これだけは心の底から本当だと言える。ぼくはぼくのためではなく他者のために自殺はできない。

彼女がその時初めて表情を変えた。

だから私はお前を変態だと言っている。お前はそう言われて腑に落ちたのだろうが、それこそ勘違いであってお前が変態である所以だ。さっきからお前は私の言っていることが何一つ理解できていない。お前は生涯ずっとそうだった。理解した気になっていただけ。だから自殺しろ、ただそれに従うことのみお前は救われる。

気付くとぼくの手には拳銃が握られていた。ぼくは躊躇無く自身の口に銃口を突っ込んで引き金を引いた。

そして目が覚めてぼくは顔を洗うよりも先に首を吊った。

高尾山で見た赤い首

あの日、私は高尾山を登った。友人とイボタガという実に美しい羽模様をした蛾を見に行ったのだ。登る途中とても耐えられなくなって吐いてしまった。私はその瞬間嘘偽りなく死んでしまいそうだったのだ。死ねという言葉が脳に響き渡り消えるところを知らなかった。

私たちは山頂の寺に入った。入る時、仁王様と目が合った。真夜中の寺は荘厳で異界に迷い込んだような心持ちになり私は些か救われた気がした。歩き進むと境内の石階段に赤い首が落ちていた。よく見ると真紅の椿だった。その椿は綺麗に一つだけ階段の真ん中に落ちて静止していた。すると連れの友人が言った。

「椿は縁起が悪いと言うよな。花弁が少しずつとかではなく、いきなりボトッと落ちるから」

その性質もそうだが、彼岸花といい真紅の花はどうも縁起が悪いと言われることが多いように思う。彼は続けて、昔読んだ『地獄堂霊界通信』という本に椿の不気味な話があったことを言って、やたらそれが印象深く以来椿を見るとどうもその話とコネクトしてしまうらしい。

そう言う彼だが彼は椿が好きだ。私も彼岸花、椿、菊、牡丹など、東洋世界的な死の雰囲気を持つ草花が昔から好きだ。以前、芥川龍之介の『鴉片』という短い話を読んだ。その中で彼はアヘンは西洋的か東洋的かという話をしていて、やはり自分は東洋的だと思うとした。アヘンの持つ東洋的な死の雰囲気を説明する上で、青々の「初冬や谷中やなかあたりの墓の菊」という句を引用している。その見事な幕の閉じ方は芥川の天才振りを伺わせた。

話を戻すが、椿は同時に縁起の良い植物ともされてきたのを知っているだろうか。椿は縁起の良さと悪さの二面性を持つ。椿に限らずこの手の類にそういう二面性を持つものは多い。私はこの人の世の性質がまさにこの椿の件と表れてると思う。振り返るとさっきの赤い首は同じ位置で先ほどと寸分違わない形で静座している。それから奥へ進もうとすると私の心臓はまた死を求め激しく波打ち出した。私の内側では一人の大人の男が気狂いのように暴れて大泣きしながら辺りのものを破壊して助けて助けてと大絶叫しているのに、外側の私は落ち着いて冷ました顔をしているのだから実に人とは不思議で気持ちの悪い生き物だと再確認した。

高尾山からの夜景は実に綺麗だ。サンテグジュペリだったかな、あの光一つ一つにかけがえの無い人生があるなどと言っていたがまさにそれだ。足元には一匹のツチハンミョウがいた。友人に映画『ジョーカー』の精神科医の話をしたら、彼が愉快な話をしてくれた。『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』に出てくる精神科医が医者を辞めるそうなのだがその理由が「この人たち(患者たち)は私がいてもいなくても変わらないから」なのだそうだ。

美しい夜景を前にして足元ばかり見ながら彼に言った。俺は今こんなだけれど結局お前も俺も同じところ(死)に落ち着く、それについてどう思うか、と。すると彼が、それでも自分は死ぬ時に良い人生だったと思って死にたいしそのために努力していると言った。それに私はこう返した。俺もずっとそう思っていたがそれはそんなに重要なことではないのかとも思っている。実際のところ結局同じ威力を持った死が等しく訪れるなら最後の瞬間にどう振り返ろうと何も違いはないのでないか。そんな話を適当にして二人で笑った。それから山を降りた。私の汚物はまだ残ってるかなと言ったら、さっき見たハクビシンが食って今頃精神安定剤でまったりしているよと彼は言った。

そうだ、私たちは適当に話をしているのだ。これらの他愛のない話は何よりも私の心を軽くしてくれる。「自殺だけはしちゃダメだ!それだけは絶対にダメだ!お前が大事なんだ!」などという言葉よりよっぽど私を死から遠ざけてくれるのだ。

気配

死後も気配は残り続ける。

机の上に物があったり、扉が開けっ放しになっていたりするとアッと思う。二階から一階へ降りる時には足音に注意を払う。愛しいあの子が目覚めてしまわないかと。

それからすぐに思い出す。もう関係なんだ。この姿は正しいんだ。そうか、もう私しかいなくなってしまったと。

この家には老人のような私しかいない。

いま私の日々で澄み切った慰みになるものは日光と庭先の小さな虫、あと手入れのしていない植物だけ。

審判

二人の男がいた。

一人は幼少より神経質のきらいがあり人より能力も劣っていたが心優しい男だった。彼は子供の頃に大人から酷いことばかりされてきた。それも決して口にすることも憚られるような類の非人道的なものだった。そういった過去から彼が神経質になりそれでいて精神にいつも暗い影が差していたことは誰も責められないだろう。ある時彼は全く彼の望むところではなかったがインターネット上で敵国の爆撃で内臓を曝け出して亡くなった幼女の遺体の画像を目にしてしまった。その時、彼は自分の親戚の女子小学生が酔っ払い運転の車に轢かれて突然死んだ時のことを思い出した。

そんな彼だが、ある町工場に勤め出してから数年目ふとしたきっかけである一人の女性と出会い恋に落ちた。そこから彼の人生は大きく変わった。彼は初めて人に愛されることの喜びを知り、そして愛することのかけがえのない喜びを知った。彼は以前より明るくなり社交性も出てきた。仕事の成績もとても良いわけではないが以前より格段に良くなり、元々持ち合わせていた心の優しさが起因したのか社内に心が許せる友人もできた。二人は結婚しそして子供を授かった。彼は猿のような顔をした赤児を見た瞬間、生きる意味を得た。無論一つの家族がこの世界を生きていく中で困難に見舞われることは避けられない。人生は苦難の連続だ。しかし彼は決してその苦難に心折れずまた他人の責任にすることもなく己の良心に従って愛する人たちの幸福を基準に精一杯生き続けた。途中、肺に癌を煩い病魔に敗北しそうにもなったが、愛する人たちの励まし、そして顔を思い出すことで何とか乗り切ることができた。そして気付けば彼は老人になり、愛する妻も随分年老いた。しかし彼は妻を決して醜くなったなどと微塵も思わなかった。彼らの間には決して他の者には入ることのできない海より地球より深い絆があった。そして彼は68歳と今日の時代ではまだ若いが、孫、息子、妻に囲まれて静かに息を引き取った。彼は幸福だった。彼が息を引き取る直前、妻が耳元で優しく囁いた。あっちでも一緒ですよ、と。男の頬を涙が伝った。男はその時に自分が子供の時以来泣いてなかったことを思い出した。辛く苦しいことばかりだった。だが生きて良かった。産まれて良かった。男は妻のその言葉を手土産に息を引き取った。

一方ここにもう一人男がいる。奇遇なことに彼も先の男性と同じ年さらには同じ日に産まれ、そして同じ歳さらに同じ日に死んだ。そしてまた何の因果か彼もまた先の男性と同様に幼少期の悍ましい体験を持っていた。しかし彼が先の男性と決定的に違ったのはここからであった。彼はそれらの体験から端を発しみるみる心を邪悪に染めた。子供の時は虫や動物を拷問して幾度となく殺した。中学の頃には好きな女学生の制服を盗んだり、彼女の靴を自らの性液で穢すことに最大の喜びを感じた。また、子供の時から彼が楽しみで辞められなかったのは弱者の支配と虐待である。自分より弱い者を見つけるとまるで義務感に駆られたかのようにいじめ、自殺に追いやった者も二人はある。彼は持ち前の地頭の良さを活かし、自身の悪行を見事に隠蔽し続けた。彼は自分がこうなったのは運命のせいだとして同時に悪行に及ぶのも運命だと、そのため彼は罪を感じたことはなかった。そして38歳の時、彼は初めて人を殺す。好みの容姿の女子中学生を拉致、山林の廃墟で強姦し爪を剥ぐなど散々に痛ぶり最後に強姦しながら首を締めて殺した。死体は解体し遺棄し気に入った部位は腐敗するまで自宅に置いておいた。この楽しみを覚えた彼は全く同じ方法で女子中学生〜女子高生を狙って合計で7人を手にかけた。そして彼は高齢になってから些細なことがきっかけで犯行が明るみになり逮捕された。手錠をされた彼が警察に運ばれる際に地獄に堕ちろと被害者遺族が叫び彼がそちらを満面の笑みで一瞥した様子はテレビで放送され今も動画サイトに残っている。彼は牢獄にいる時も聖職者達と決して関わろうとせず逆に向こうからアプローチがあると神を呪う言葉を吐いて追い返そうとした。しかし彼の思惑はいつも外れ、聖職者達は皆怒りを顕にせず実に気の毒そうに彼を見るだけだった。そして先の男性と同じ歳、同じ日の朝、本日刑を執行すると静かに伝えられた。最後に何かあるか問われた彼は何もないと答えた。最後まで被害者やその家族への詫びの言葉はなかった。それから彼は死刑に処された。誰も彼の死を悲しむ者はおらず、彼の死を喜ぶ者か無関心の者しかいなかった。

二人は同じ歳で同じ日に死んだ縁もあって、あの世で同じ時に審判を下されることとなった。神は彼ら二人の人生を見て瞬時に判決を下した。天国には快楽殺人者の男を、地獄には家族のあった働き者の男を。地獄行きの男は何かの間違いだと耳を疑った。相手が逆だと何かの手違いがあると神に抗議したが聞き入れられず何故自分が地獄行きなのか訳を知ることもできなかった。使者に連れられて地獄へ着くと彼は驚愕した。まだ自身が生きていた頃に聞いたことのある著名な聖人や善行を成した偉人たちが大勢苦悶の表情で助けを求めながら朝から晩まで阿鼻叫喚の声を上げていた。彼は気付かなかったが彼のすぐ近くで鬼に目玉を抉り取られ絶叫していた女性はあの男に殺された最初の被害者の女子中学生であった。しかし地獄で苦しみ悶えていたのは俗世で悪人扱いされていた者たちだけではない。それと同じ数だけ新聞で見たような殺人鬼などの極悪人も認められた。割合でいえば天国の方もまただいたい同様であった。

ある老人の目覚め

男は大手企業の新入社員で周りからも期待されている。彼の両親は他の世の良識のある親達と同様彼をこの世で最も愛していて、この子の幸福のためなら命を瞬時に捨てることもできる。彼には学生時代から交際している優しく美しい恋人がいてじきに結婚を申し込む予定だ。恥ずかしながら親友とも呼べるような友人も数人いて、生きる糧となる趣味もある。ただ彼には人格的な欠点があった。人よりエゴが強く、臆病で、そして怠惰であった。

目が覚める。

どうやら昔の夢を見ていたらしい。老人は眠っている時が最も幸せだった。

老人は煙草の火で所々焼けた黄ばんだ畳の上で横たわっている。目は虚で斜視ではないがどこを見ているでもない。部屋はカーテンで閉め切っていて日中にも関わらず薄暗い。辺りにはスーパーで一番安くアルコールの度数ばかり高い焼酎の瓶が転がっている。室内はどこか糞尿のような臭いが立ち込めており、積まれたゴミ袋の周囲には小蝿が舞っている。ゴミ袋の下には蝿の蛹の抜け殻があることから、この一室で蝿が産まれその生涯を過ごしさらに子を残し死に至っていることが推察された。もう遠に盛りの時期は過ぎたであろうに枕元には穢れたティッシュが転がってることからどうやら滑稽なことにそっちの方はまだ健在らしい。老人は口の端から粘着性のある唾液を垂らしながら、酸素を欲する金魚のように口をパクつかせ何やら呟いている。声が小さくて近寄らないと聞こえない。思い切って近寄ってみる。

「俺は……俺は……俺は……」

それを聞いた時、私は思わずプハッと吹き出してしまった。だってこれだけ痛い思いをしてきたのに最後の最後まで自分の過ちにまだ気付けていないのだから。そもそも私がここに来た理由。一思いにここで殺してやろうかとも思ったが、そんな考えは瞬時に消えた。長生きさせてやろう。誰よりもこの老人を長生きさせてやろう。病気にはさせても決して死に至る程のものではなく、意識もハッキリさせておこう。そうと決まると私はその一室を後にした。最後に彼の方を一目見たが、やはりプハッと炭酸を開けた時のような笑いがもう一度吹き出すだけだった。

クズ

気付いた時にはたくさんいた友人が僅かになっていた。

何故? 分かってるくせに。お前の身勝手さ故だろう。

自分にとって正しいことをしていたつもりが実際のところ誤っていた、なんていつまで言い訳するつもりだ。

自分のことしか考えていなかった。理由はそれだけだろうに。