私は本を読むのが遅い。
今は以前ほど気にしてもないが、これでも学生時代は気にしていた。というか気にせざるを得なかった。
何故なら学生時代は国語でどうしても文章を読むことになったし、英語だって言語が違えど同じことをさせられた。
小学校、中学校の時分はさほど問題にならず自分の能力にも疑問を抱かなかったが、高校に上がってもしや自分は人より読むのが遅いのかと思うようになった。
高校の国語の試験、特に大学受験に通ずる全国模試のようなタイプだと制限時間が内容に対してそれほど多くなく、効率の良い読み方や読むスピードが求められる。
私はこれに非常に苦しめられた。
どうしてもじっくりゆっくり読まないと頭に内容が入ってこないのでそうしていると直ぐに残り20分などになっていて焦る。そして焦れば焦るほど頭に内容が入らない。しかし別段周りより国語の試験結果が劣っているということはなかったのは不思議なことだ(特別良くもなかったが)
後で周りと話すと皆10分余っただの15分余っただの余裕綽々で、私ばかりがギリギリまでペンを持っていて後半の問題はろくに読まず適当に済ましていた。
これは大人になってからも変わらず今でも博物館なんかで人と一緒に文章を読んだりするとさっとその人が次に行ってしまうことがよくある。私はまだ半分までしか読めていないのに。
まあこれなら良い方で酷い時は相手に何をそんなに長く読んでいるんだと叱られてしまう。これを言われると流石に私も悲しい気持ちになる。だってそれは「お前は何故そんなに頭が悪いのか」とも言い換えることができるからだ。
こんなのってあんまりだなと思ってしまう。
脳の回転が遅い人間はいつだって人をイラつかせてしまうが、イラついてしまう頭の回転が速い人たちは一度回転が遅い人の身になって考えて欲しい。その人たちは別に努力不足などではなく、生まれもった脳の質の問題でそうなっているだけでどうしようもないのだと。魚屋の息子に大工の息子になれというのは無理な話で、本人の力ではどうしようもない。そんなどうしようもないことで叱られたらやり切れないではないか。
同様のケースは生きていると何度となく感じる。
世の中はもう少し「運が悪かった」ことがそれの理由になっていることを認めて欲しいものだ。