The Cuckoo's Nest

幽遊自躑に暮らしております。https://twitter.com/Wintermoth1934

七月中旬、カーテンの隙間から

零時を過ぎると煙草を呑みたくなる。

僕の心は薬を飲んでも乱れている。

今は七月、午前三時、あの子は仕事で疲れ果てて寝ている。

僕は布団から起き上がると、台所に行き、カーテンの隙間から街灯の二つある十字路を眺める。

この道は昼間は人も自動車もたくさんいて嫌いだ。

だけど最近、平日の午前一時時以降はとても静かで、街灯に時折蝙蝠が舞ってることに気付いた。

本当だったら窓際に椅子でも置いてこの眺めを肴に煙草を呑みたいところだ。

カーテンを閉めると、机にずっと置かれたままの枯れたハーブの鉢に気付き暫し眺めた。あの子が育て始めてすぐに枯らしてしまってそのままのハーブ。

私はカーテンの隙間から見える景色と枯れたハーブを目にし初めてこの街を好きだと思った。

昼間は煙草への欲求がなくなるが、深夜寝る前になるとどうにもダメだ。しかし抗えない程ではない。

ただ僕は知っている。いつか煙草を呑んでしまうと。誘惑に負けてあの蝙蝠の舞う十字路を眺めながら煙草を吸ってしまうだろうと。

その時、僕は本当に自分に失望して、その一服を最後に二週間分の抗不安剤を安いウヰスキーで胃に流し込むだろう。次第に脳髄が海底の平目のようになって知覚が朧げになる中で私の頭の中を過ぎるのはやっぱり疲れ果てて寝ている君の安らかな寝顔だと思う。

僕は冬より夏にこそ死を感じる。

じめっとしたあの梅雨じゃないよ。梅雨は寧ろこれから来る暑い照った夏を予期させる希望の月。でも祖父母の誕生日が梅雨だから少し悲しくはなる。

死を感じさせる夏はインドの神々が御座すような灼熱の夏。もう西瓜でも食べて川にでも入らなくてはやってられないって程のそういう夏だ。

何も暑くて調子が悪くなるから死にたくなるわけではない。思えば大好きな祖母が死んだのも夏だったし、終戦も夏(僕は体験してないが)、蝉や甲虫も死んでいく。夏は腐敗の進行も一段と早い。こんな時期には死にたくなる。そりゃあ都会の一室じゃ無理だろうけど森で首でも括ればすぐに虫が分解にやってくるだろうし、そこまで望まなくても部屋で変なピンクの臭い汚水を垂れ流しながらプツプツと穴が空きショウジョウ蝿の巣になって溶けて死ぬのもそんな悪くないんだけど。

僕は死んだらこれまで生命が誕生した時から死んできた全ての個体と肉体を超え一体になれると信じている。

そこには僕の大好きな祖父も祖母もいて、時の概念もないから未来に死んでいく僕の両親、あの子をはじめその他大勢の友達、暮らした動物たちもそこにいる。その場所は肉体を捨てているため欲望も社会もないからただ皆が森や草原、渓流かなんかで毎日静かに暮らしている。会いたい命があればすぐにでも会うことができる。それが未来永劫続く。感情は穏やかで決して怒ったり恨んだり嫉妬することはない。

でも僕は今まで自分の快楽のためにいっぱい人を騙して裏切って憎んで嫉妬して生きてきたからきっと地獄行きだろう。そう思うと僕はダンヒルのライターを強く握ってしまう。