今うちの愛犬が死に掛かっている。
この黒い雄犬は19年も生きている。
ようやく19歳を迎えたが、一ニ週間程前に母から今まであった食欲が格段に落ちたとの報があり覚悟するよう伝えられていた。
そして今日、自宅にて母から彼の危篤の報を受け急遽郷へ帰ることを決意、今新幹線の中でこれを書き綴っている。
今の心境を書き表すことは難しい。彼は十分過ぎるほど長生きした。だから早死や予期せぬ死に対して起こるような強い悲哀の情はない。
私は意外にも落ち着いている。理性で解釈していてもこのような状況になった時おそらく強く動揺し落涙もあるだろうとずっと思っていたが、今はまだそうなってない。
彼がまだ生きているからか?
危篤の状態はやはり生きているのだ。生と死の間の壁はあまりに厚く決して互いが混ざり合うことはない。だから私の中で彼は今までと変わらず生きているのだ。いくら危篤とはいえ彼は生きている。確かに存在している。消え掛かり豆粒程に小さくなった蝋燭の炎も暗闇の中にあれば辺りを十分に明るくする。遠くから見てもハッキリその存在が認められる。
まだ彼の周りはぽっと明るく暖かい。彼はこの世界を確かに暖めている。まだ私は遠くにいるが、確かに彼が放つその暖かい安らぎの美しい炎を認めている。