The Cuckoo's Nest

幽遊自躑に暮らしております。https://twitter.com/Wintermoth1934

昭和44年の楠

「俺はベトナムに行こうと思う」

昭和44年の昼下がり、大学の食堂、私が日替わりのメンチカツ定食を頬張っていると吉野がそう口にした。私は止まることなくマカロニサラダの横に置かれた安っぽいパスタに箸を伸ばした。ただ確かに悲しみの水滴が一滴白い和紙の上にポトリと落ちじんわりと広がりゆくのを感じ取った。

「無論賛同など何人もしてくれない筈だから親にも彼女にも言わないつもりだ。君だけだ」

私は形式的に理由を問うた。すると彼は言った。

「俺は人生を全て哲学に掛けるつもりで必死で勉強してこの大学に来た。膨大な本に触れ教員たちの講義を傾聴し情熱的に議論も交わしてきた。でも全て誤魔化しに過ぎなかった。何一つ学べたことはない。本当に何一つだ」

私は窓から見える正門横に聳え立った楠が気になり出した。その楠を確か私が入学する時にも今と全く同じ姿で立っていた。その楠を目の端に据えながら、一ついいかいと前置きし私は言った。

「君の思惑は分かってるよ。気恥ずかしいが唯の友人ではない間柄だしな。だけどね、それはあんまり馬鹿だよ。言うまでもなく死ぬかもしれないし、いずれにせよ君は正常ではなくなる。狂人になる可能性も高い」

私はそうは口にしたものの内心では全く反対のことすら考えていた。私はこんな時にも平気で嘘がつける自分に驚きすら感じていた。

「分かってる。でもどうしても知りたい。俺は幼少の時分から理解できなかったんだ。何故みんな絶対的なこの世で唯一確実なことといえる死についてここまで無関心で、いや忘却して過ごせるのだろうって。俺はずっとそれが分からなかった」

そう言って吉野はさらに続けた。私はすでに最後のマカロニサラダに取り掛かるところだった。私はその中にオレンジが混ざっているのに気付き嫌な気分になった。

「ずっとそんな奴らを蔑んできた。でも俺も君もみんな同じなんだ。何も違いはないよ。そう思うと気が狂いそうになる。変わりたいんだ。ベトナムに形はカメラマンとして行く計画で既にツテもある」

それから彼は、カメラなんて持ったことも使ったこともないけどと言い笑った。

「君がふざけた浮ついた心持ちで言ってないことは分かってる」

「ありがとう。それだけでいいんだ。親父がよく言っていたよ。先の戦争で南方へ行った時のこと。あの頃は死が確かに隣にいたって。今じゃあいつはどこへ行ったんだろうって。酒なんか飲むと時折笑いながらそう口にした。俺は一人で書斎に腰掛けて煙草を呑んでる親父の目を知っている」

私が食器を持って立ち上がると彼も立ち上がった。彼は何も食べていなかった。食器の返却棚には無数の汚れたトレーが乱雑に積み重ねられねおり、実に機械的に非人間的な動きでそのトレーは中年男性が別のところへ運んでいた。私はこの返却棚を見るのが苦手でいつも吐き気を催す。その日の吐き気は一層強かった。駅までの道中、私は黙っていたし彼も黙っていた。

その日で彼と会ったのは最後だった。実のところあの日もっと色々な話を彼としたのだ。だが今書いたこと以外に憶えていない。それに一番強烈に憶えているのは彼と最後に話した内容などではなく、大学の正門横に生えた大きなとても大きな楠だった。その楠は日差しをジリジリ浴び濃い緑の葉を輝かせ時折思い出したように風に吹かれ葉を揺らしていた。

吉野は予定通りベトナムへ行きそして昭和46年の夏に死んだ。葬儀へ出席したが、その姿を見ることはできなかった。聞くところによると、ほとんど身体が残っていないらしかった。

あれから何年も経つが私は不幸だった。正確に言えばかつてと同じ不幸のままだった。幸福になろうとしてこなかったわけではない。恋人を作り結婚をして子供も持ち、友人たちとも長い付き合いを続けている。しかし妻と愛し合っていても友人と遠くへ旅に出ても何をしても刹那的な誤魔化しに過ぎないとしか思えなくなった。

時折、私は仕事中や家にいると何の前触れもなく頭を信号のようなものが走ってチカチカと何度も繰り返し点滅する。その時はトイレに篭って5分間あの日見た楠のことを考える。気付けば私が唯一心安らぐ瞬間は、あの日見た正門の楠を夢想することだけになっていた。

あの時、確かに彼は存在していた。そしてあの日を境に彼は存在しなくなった。あの楠が境界になっていた。その事実が私の中にあるあの大きな楠を一層美しくした。それは海外の美術館で観てきた数多の名画よりずっとそれは比較にならない程に美しかった。