The Cuckoo's Nest

幽遊自躑に暮らしております。https://twitter.com/Wintermoth1934

自殺について

カミュが以前このようなことを書いていた。結局のところ人生で最も重大なことは一つ、それは自殺するかどうかだ、と。

自殺について考えることは私の日常だ。私にとってサラリーマンが仕事から帰ってきて呑む一本の缶ビールぐらい日常的だ。

別にそれは何も私が大きな希死念慮を持っているというわけではなく、まあ確かに時に本気で死を熱望することもあるが、そんなのは一過性の大爆発に過ぎず幸福なことが舞い込めばまたすぅーと死から離れてしまう。私はそんな薄情な奴なのだ。なので私は大体において自殺についてあれやこれやと考えているだけだ。暇つぶしなのだ。

その暇つぶしをしてると思う。私は自分が自殺する気だけはどうもしないのだ。そう妙な確信がある。昔からある。自殺するのであれば廃人になって生きる方が私らしいとも思うが、何やかんや私は狂ったりもしないだろうという確信も同時にまたあるのだ。

私は時に大き過ぎる絶望を欲する。私はまだ真の絶望というものを味わったことがない。人を殺して逮捕されたり、信用していた最愛の恋人が他の男と寝ていたり、自分の子供が首を吊って自殺したり……そういう稲妻に打たれたような体験が私にはない。私は私からすれば不幸に違いないが、人から見れば時に羨まれる程には幸福なのだ。不条理の稲妻に打たれた時、私は自分の心がどう動くのか、それを知りたい。それほどのことがあればやはり自殺を選択するのか、それとも理性を失わず今まで通り生きていくのか。結局のところ激しい絶望を味わったことがない者など自分のことを分かったとは決していえないではないか。私は私のことをまだ何も知らないのだ。私はいつまでも蝶の蛹の中のドロドロしたあの生命の液体だ。

私の人生哲学というとそれほど立派なものではないが、人生とは、いや生きることとは基本的に苦しいものである。そこで「生きることは苦しい=生きるだけ無駄、故に死のう」とは私は決してならないのだ。人生は苦痛が大半だし、しかも生きていれば必ず死に全て意味がなくなる。だからこそ逆に生きようと思える。どうせ死ぬなら今この瞬間も私は死んでるのと同じだから死ぬ意味もないというのが私の考えだ。

……いや、改めて考えたらそんな大層なものじゃないな。怠惰なだけだ。単に私は怠惰なだけなのだ。何も格好つけることはない。そうか、そっちの方がよっぽど真実だ。