The Cuckoo's Nest

幽遊自躑に暮らしております。https://twitter.com/Wintermoth1934

殺人と食人について

インソムニアで眠れないので綴る。

危険思想と言われたら話は終わって実に面白くない。面白くないだけなら構わないが私はこの問題に地球上で脳の最も発達した種としてより真摯に向き合う必要があると常々思っている。でなければ頭がデカいだけで実は空っぽそれでいて身体能力も極端に低いのだから生物として他の種より秀でた部分が何一つない。

今日の議題は以下の二点である。先に述べるが、無論これは法律の観点ではタブーなことは大前提として、かつ犯罪を推奨するものでもない。単なる思考の遊びに過ぎないことをここに明記する。

 

一、何故人が人を倫理的な観点で殺してはならぬのか。

一、何故人が人を倫理的な観点で食ってはならぬのか。

 

まず一つ目について、我々は他の種と同様に生あるものを殺さずして生き永らえることはできない。これは不可能である。生きること=殺すこと、このことは認めざるを得ない。

この問題に気付く前に生命を存続させるため食してしまったものは仕方あるまい。しかし、この問題に気付いてしまったにも関わらずその場で自死を選ばず自分勝手にも生きようと食したものは皆同罪である。自身の手で殺めていないから殺しをしていないとは当然言えないし、何もこれは食に限った話ではない。私たちは外に出るだけで踏み潰したり身体に小さい虫をぶつけて日々生き物を大量に殺している。ジャイナ教では不殺生を徹底していて、そういった日常的な気付かぬ殺生も悪とし細心の注意を払って生活しているとも聞く。しかしそのような徹底した戒律のもとで生活するジャイナ教徒でさえ、この問題に気付いてから死ぬまでどれだけ注意を払って生活したとしても殺生0を貫き通すことは到底不可能である(そういった志しこそ生きる上で重要なので、ジャイナ教徒を否定するものでは決してない)

社会秩序のために人殺しを違法にしていることは理解できるが、何故倫理の観点で人殺しだけが特別悪き行いと古来より伝わるか私には分からなくなることがある。法律が禁止にしているから人を殺さない、それだけの方が私にとっては正常に映る。

二つ目は所謂カニバリズムの話である。私は人を食うことに抵抗があるが、これは今まで叩き込まれてきた社会規範や倫理観、まさに教育によるもので全く純粋なものではない。なるべくそのような人の作り出した贅肉を削ぎ落とすと(何もカニバリズムと掛けているわけではない)人が人を食うことに特別大きな問題などないことは明らかだ。他の種を食えるのに人が人を食えないのは同族が故による嫌悪感か。しかし他の種を見ればすぐ認められるが、同族を食することに対する嫌悪感など持ち合わせている種はあるであろうか。

以前私が森に囲まれた道路の傍を歩いていた時のことだ。時間は遅く夜道を進むと車に轢かれてハラワタを飛び散らせ無惨に潰れた一匹のカマドウマがあった。そのグロテスクに潰れたカマドウマに別の一匹のカマドウマが攀じ登りそのハラワタを啜っているのを私は確かに見たのだ。私はそれを見て強い忌避感、嫌悪感、嘔吐感に襲われた。単にグロテスクだったのはあるが、そこには明らかに同種食いに対する負の感情があった。これは社会が私にこれまで押し付け続けてきた規範からくるものであろう。「同族を食することに対する根源的な普遍的な嫌悪感」などと言うが、本当にそれは「根源的で普遍的なもの」であろうか。

また、これは大岡昇平の『野火』でも触れていたが、飢饉や戦争中などの非常事態に食するものがなく致し方なく人の死体を食することは、毎日食うために他の種を殺すことよりも重い罪であるのか。

長々と話してきたが、故に敢えて人を殺そうとか敢えて人を食おうとか私が言いたいのはそういうことではなく、我々が他の種に対する殺しに無関心でいて他の種を食すること一抹の動揺も示さないことは不気味甚だしく、我々が日常的に無感情で行っている行為はニュースや新聞を見て散々騒ぎ立ててる殺人や食人と本質的には同義なのではないかということである。

私は人がどんな味なのかもまるで関心がないし、人を殺した時に生ずる感情にも関心がない。仮に私が合法となった世界で人を食ってもそれなりの嫌悪感が生ずるであろうし、仮に私が合法となった世界で人を殺しても心に深い傷が残るであろう。

ただ私は疑問なのである。何故なのか。何故その人肉を喰らった口で人が人を食ってはならぬと雄弁に語れるのか。そして誰もこんな当たり前のことを疑問に抱かないのか。回避するために実行に移せないのは良い。自分が一番可愛いのはどの生物も当たり前だしそのようなことを考え出したら生きれないからだ。だが、頭に過ぎりもしないのは何故なのか。私はそれを思うと堪らなく不安になるし、人が気持ち悪く不気味だし、このような種は脳が肥大なだけで何の価値もなく皆が見下してる部屋を舞う一匹の蚊と同価値であることを再確認するのである。あの道端で仲間のハラワタを啜るカマドウマの方が正常だと何故思えないのか。失礼、「仲間」などという語を使ったが、そもそもあのカマドウマはあれを仲間とも同種とも思っていなかったかもしれない。それは何も脳や目が発達していない種だからではなく、それが正常だから敢えて……