The Cuckoo's Nest

幽遊自躑に暮らしております。https://twitter.com/Wintermoth1934

私の性分について

人と集まると毎度のことながら、嗚呼またやってしまった!と思う。この嗚呼またやってしまった!がどういうことかと言うと私が偉そうにお喋りをし過ぎる、これに尽きる。

現実の知り合いなら誰もが納得するであろうが、私ほどよく喋る人はそういない。私は自分があまりにお喋り過ぎるのでお喋りな人とは相性が非常に悪く、まあ俗に言う同属嫌悪というやつだろうか。私は生来のお喋りで人によっては喧しく不快に思って私と到底親しくできない者もあろう。しかし意外なことにお喋りとの指摘は幾度も受けどそれを理由に縁を切られた経験はないのだからこれは奇跡と言って良い。いやはや有難い話である。このブログもお喋りの悪化と思うとまた納得するものがあって滑稽極まりない。

このお喋りは完全に母親譲りで、母も私が頭を痛くする程に一緒にいるだけ永久に喋っている。あんまりしつこく話すものだから次第に脳がチクチクしてきて離脱せざるを得ないこともある。それも同じことを繰り返しずっと話し、話し方にも抑揚をとにかくつけたがるので凄まじいものがある。それを幼少より身近で体験していてウンザリするが、どうやら私も母ほどではないが近いものがあるらしい。結局蛙の子は蛙ということだ。

話を戻すと、私は人と集まるとついその場を仕切ってお喋りを始めてしまう悪癖がある。元々沈黙が苦手ではあるが、いやいや単にお喋りが好きなのだろう。親友の一人からは私がエピソードを語ってなんかいると途中で「いつその話終わる?」と冷やかす者もあるくらいで、彼曰くお前以外にこの言葉を使ったがないとのことだが尤も至極である。

さて、今日も今日とて同じ過ちを繰り返してしまったわけだ。皆の視線を一身に集めて、さあこれから面白いことを話すから心して聞けよとついやってしまう。それも一度きりではなく何度もだ。そんなお喋りが得意なら司会業でもやったらどうかと思うかもしれないが、実は極度のあがり症で事前に決められて話すことは大の苦手なのである。

いつも不思議に思うが、この臆病で矮小な私からどうして場を仕切るような大きな自信が現れるのだろう。普通の人ならそんな自信は湧き起こらない筈だ。何だか私は頭が単におかしくて、皆さんが大変良い人たちばかりだからそれに付き合ってくれてるんじゃないかしらとも思ってしまうのである。それか躁鬱病か何かだと思われいて(実際そうかもしれないと疑っている)あゝまた冬尺さんのアレ始まったよぐらいに軽く流されてしまってるのかもしれない。

あまりに口を動かし過ぎて食事の進みは遅いし時折自分で喋り過ぎて呼吸が荒くなっていることを自覚し流石に苦笑する。おまけに人の話を聞くのは大の苦手で、たまに人が少し話せばそれに対し5倍は意見する。これはもはや長所などではなく気狂いではなかろうか。稀に自分の話してる様子を音声なんかで聞くと、これはまるでコメディアンだなと思う。妙な格好のピエロか何か、滑稽でそういう騒がしい玩具のよう。

こんな性分ながら毎度やってしまったなと一応反省はするのだ。声がデカくとにかく場を仕切りたがるだけで実際碌なことを話していない。尤もらしく勢いで誤魔化す能力は高いかもしらん。感情ばかりで論理がまるでない。おまけに嫉妬深く種々の欲が人一倍強くそれでいて自分を責めることだけはこうして大層得意である。酒なんか大勢で飲んで急に一人になると本当に自分が塵芥同然ではないかと思うのだ。結局のところこういう文章を残して、自覚があり反省する気もあったことを後世に残すことでしか償いができないと思っている辺り終わっている。それでいてやはり「いや、あなたは自分が思っているような悪い人じゃありませんよ」の一言を喉から手が出るほど心待ちにしてるんだから気色の悪いことはない。